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「賢い」とは?

「賢いとか頭が悪いって何をもって言うんだろう?」
と思うことがよくあります。
 私自身、自分が賢いと思うときも、頭が悪いと思うときもあります。
「あの判断は賢かったなぁ♪」
「あの対応は頭が悪いわ…」
といった感じです。
 どうも、賢いとか頭の悪いという言葉は、大きく分けてまず

①場面場面で変わる評価
②一生変わらない固定された評価

の使われ方があるように感じます。
 このどちらが正しいとか、おかしいという議論はする意味がないと思っていますが、②の意味で使う人の方が多いのかなと思っています。

 私は仕事柄、受験生という、勉強に一年をささげている子を毎年見る仕事なので、人が賢くなっていく様子を見ているためか、①の使い方をすることが多いです。
 生まれ持っての性格や家族の影響によって、当然ながら地頭の良さなどの差はありますが、視野が広がったり、要領が良くなったりすることで、考え方が柔軟になって成長していく様子などが感じ取れると、素直に
「この子は賢くなったな。」
と感じます。
 そして、そういう成長によって得られた賢さは、よほどのことがない限り、地頭の差よりも大きいものだと思いますので、私は常に
「賢さは固定値ではなく、努力や物の考え方でいくらでも変わるもの。」
という考え方をしています。
 そのため、常に右肩上がりというわけでもなく、余計なことを考えたり、視野が狭まれば愚かにもなると思っています。

「〇〇君は自分と違って賢いから…」
「僕は賢くないから…」
という枕詞からはじまる会話をよく耳にします。
私自身も気づかずにしていることもあるのかもしれませんが、できるだけこの言葉を使わないようにしています。
何というか、相手のこれまでしてきた努力や、時に悩み、もがいてようやく到達できたかもしれない今に至る軌跡を、「賢い」という一言で片づけるのは失礼ではないか?もし自分が相手の立場ならば、嫌だと感じるからです。

 どうしても努力で追いつけない、敵わない人も世の中には沢山いますが、それが果たして才能の差なのか、それとも努力の差なのかと考えたとき、だいたい努力の差なんですよね。
 努力ができることも才能なのかもしれないですが、それなら才能ってそんなに神がかったものでもないと思えます。
 40代もかなり身近になってきた年齢ですが、まだまだ好奇心と探究心と努力する気持ちを枯らさないように、いろいろなことに挑戦したいと思う今日この頃です。

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